ロッシーニ:歌劇「エルミオーネ」(グラインドボーン音楽祭)


歌劇「エルミオーネ」 Ermione 〜全2幕(イタリア語)〜
ジョアキーノ・ロッシーニ作曲
アンドレーア・レオーネ・トットーラ台本(ラシーヌ『アンドロマック』による)

ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
グラインドボーン音楽祭合唱団
アンドリュー・デイヴィス(指揮)
グレアム・ヴィック(演出)
1995年収録(グラインドボーン音楽祭ライヴ)




あらすじ
【第1幕】トロイアの英雄エットーレ(ヘクトル)の未亡人アンドロマカはエピール王ピッロの虜囚となっている。スパルタ王女エルミオーネという婚約者がいながらアンドロマカに思いを寄せるピッロだが、アンドロマカに拒まれる。そこにアンドロマカの息子アステュアナーテの引渡しを求めるギリシアの使者オレステ。可愛さあまって憎さ百倍、アステュアナーテを引き渡そうとするピッロ。【第2幕】息子の命を人質に取られ泣く泣く結婚を承知するアンドロマカ。おさまらないエルミオーネは、自分に思いを寄せるオレステをそそのかし、婚礼の席上でピッロを暗殺させる。が、エルミオーネの思いはあくまでピッロにあり、誇らしげに殺害を報告するオレステをののしり、悲しみ悶えるのだった…。


エルミオーネはピッロを愛しているが、ピッロはエルミオーネを愛していない。ピッロはアンドロマカを愛しているが、アンドロマカはピッロを愛していない。オレステはエルミオーネを愛しているが、エルミオーネはオレステを愛していない…という不毛の三連鎖! 17世紀フランスの劇作家ジャン・ラシーヌの戯曲「アンドロマック」を脚色したオペラ・セリア(全2幕、イタリア語、初演1819年)。ロッシーニというとブッファ(喜劇)の作曲家というイメージが強いですが、実は作品の過半数以上がセリアだったりします。意外や意外…。


実はこれ、原作を先に知っていて、岩波文庫渡辺守章訳(名訳!)で(フェドールと抱き合わせ)愛読してまして、いわば原作からのアプローチで興味をもったクチなんですが、オペラ自体の評判は芳しくなく(これはロッシーニのセリア全般に言えることなんですけど…)、グルックの模倣、フランス・オペラの真似…と散々ですが、このプロダクションで見るかぎりはそう悪くない…。


合唱入りの序曲。叙唱と朗唱が切れ目無く続き、アリアとして独立したパートが目立たないという(当時の)イタリアオペラとしては異色な構成。ヒロインは嫉妬と憎悪にかられ、つれない男を言い寄ってきた別の男に殺させるという女*1。男も片や力づくで後家さんをモノにしようという暴君、片や女に騙された暗殺者。オチてない結末…これじゃ非難ゴーゴー、不入りも仕方ないことか。個人的には構成のアンバランスさと、脚色の不徹底さが気になる。大詰めの前にワンクッション欲しいし、エルミオーネを主役にしたのだから、アンドロマカとの女同士の対決など見せ場が欲しかったところで、その点物足りなく感じる。


華となるアリアが無く地味な作品だけに、演出の腕が問われるところだが、グレアム・ヴィックの演出は秀逸。螺旋状に傾斜した宮殿を舞台にすえて歪んだ世界観を表現、古典古代ギリシアから19世紀の専制国家に移して、古代人を詰襟の軍服や華麗な社交ドレスで闊歩させる…いわば"移し替え"の趣向だが、違和感なく楽しめる。中央の宮殿がグルリと回転する趣向も面白い。


キャストは…エルミオーネは舞台映えのする容姿で文句ナシ。黒と紫の社交ドレスで嫉妬に悶え狂う姿はまさにヤンデレ。肝心の歌唱力は…ちょっと不安定なところもあったけど、でもあの姿だけでゴハン100杯いけそう。アンドロマカはイメージ通りの容姿だったので満足。オレステはロッシーニ歌いとしても定評のあるブルース・フォード、高音を響かせまくっていましたが、容姿・演技ともに文句ナシ。ピュリスは高慢な感じがうまく出ていた。でも、演奏面では各キャストよりも、指揮のA・ディヴィスの印象が強し。特に序曲の演奏が凄い。音がギュンギュンと響く軽さとエネルギーを感じさせる演奏。ノリノリ。振り終えた後の満面の笑みに、盛大な拍手…一緒に拍手したくなった(笑)。


上出来すぎるプロダクション…まとめてみるとこんな感じ。作品自体は(原作に比べると)並だが、良プロダクションで化けたというところか。
(2007年7月15日、DVD視聴)



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*1:ヒロインというより、どちらかというと恋敵役…なんだよね。「アイーダ」のアムネリスみたいな役どころ。原作ではタイトル(「アンドロマック」)通り、アンドロマック(アンドロマカ)が主役。