読書メモ(2009年6月その1)

レンブラントのコレクション―自己成型への挑戦/尾崎彰宏/三元社

レンブラントのコレクション―自己成型への挑戦

レンブラントのコレクション―自己成型への挑戦

レンブラント論。タイトルは、レンブラント絵画のコレクション…のことではなく、レンブラント本人が所有していた美術コレクション…のことである。とはいえ、そのテーマについて直接触れているのは本書の一部であって、いろいろ誤解を招きやすいタイトル。むしろ副題の方が内容をよく要約している。


でも一番興味深かったのは(自分の関心のせいもあるけど)レンブラントの美術蒐集について触れている五、六章と末尾に付されているレンブラントの財産目録(1656年の破産時の競売目録)。成功した画家としてのステイタスシンボルという意味あいもあったようだが、それ以上に芸のコヤシでもあったことが、レンブラント作品との対照分析で明らかにされる。それにしても、東洋(イスラム)の細密画を模写していた…というのは軽く驚きだな…。

鏡の前のフェンシング―生者たちの対話/アンドレ・モロワ/弥生書房

鏡の前のフェンシング―生者たちの対話 (1984年)

鏡の前のフェンシング―生者たちの対話 (1984年)

『デュマ伝』、『ユゴー伝』などの文学的な評伝、『英国史』などの歴史作品で知られるフランスの文学者アンドレ・モロワの評論集。この人の『英国史』はとても面白かったと記憶する。内容は小説、演劇、映画…などなどと文化全般、どちらかというと文芸中心かな〜。保守中道っぽい立ち位置からの論評で、特に新鮮なものでもないのだが、形式が一風変わっていて、面白い。



――いったいなぜ対話の形式をえらばれたんですか。
――私の頭はそんなふうに働くんです。なにかの考えが頭に浮かぶと、すぐに然るべき答えが出てきます。それをノートすると、こんどはその答えに対する反論が出てくるんです。このような対話は私の自然な考え方なんです。……
(中略)
――結局、これらの対話は独白ということになりますね。
――そのできるだけ柔軟なやつを私は望んでいるんです。
――では、鏡の前のフェンシングですか。
――ご名答です。では失礼。
(本書5〜6頁「はしがき」)

物語スウェーデン史/武田龍夫新評論

独立の英雄グスタフ・ヴァーサ(1523〜1560年)から、現国王カール16世グスタフ(1973年〜)まで、歴代国王のエピソードを中心につづる歴史物語風のスウェーデン史。カバーしているのは近世・近代・現代で、独立以前のスウェーデン史(太古、古代、中世)は扱っていない。まあ読みやすい本。

翻訳の基本―原文どおりに日本語に/宮脇孝雄研究社出版

翻訳の基本―原文どおりに日本語に

翻訳の基本―原文どおりに日本語に

またまた翻訳論…というより、翻訳エッセイ・コラム。この人はイアン・マッキューアン、パトリック・マグラアの本を訳していて、『書斎の旅人』という面白いミステリーエッセイを書いていた人だけに、柳瀬本より実践的でかつ読物としても面白い内容。でもクロウリー『エヂプト』はどうなったの…?

翻訳はいかにすべきか(岩波新書)/柳瀬尚紀岩波書店

翻訳はいかにすべきか (岩波新書)

翻訳はいかにすべきか (岩波新書)

末尾に「余が飜訳の標準」(二葉亭四迷)収録。まともな翻訳論を読みたい向きはこちらだけ読むが吉。この人が書けばたぶんマトモなものにならないだろうとは思ったが、ここまで空気嫁ないとは…。自分の翻訳論のプロパガンダに終始していて、タイトルのテーマはほとんどついでのような扱いだ…。

神なきユダヤ人/ピーター・ゲイ/みすず書房

神なきユダヤ人―フロイト・無神論・精神分析の誕生

神なきユダヤ人―フロイト・無神論・精神分析の誕生

『ワイマール文化』の著者によるフロイト論。大著『フロイト伝』の副産物っぽいが、小著とはいえ、フロイト無神論者を自認していた)と宗教(キリスト教ユダヤ教)との関係、フロイトの学問に対する宗教界の反応に切り込んだ刺激的な内容。19世紀に至ってもなお、科学VS宗教の軋轢が解消されていなかったという、日本人には分かりにくいフロイトを巡る宗教事情がよく分かる。



ところで、敬虔な信仰者が誰一人として精神分析を創造しなかったのはなぜでしょう。そのためにが完全に神なき(ゴッドレス)ユダヤ人を待たなければならなかったのは、どうしてなのでしょうか。 (本書iii頁)
さすがフロイトさん、鼻っ柱が強いな〜(苦笑)。

ぼくはこんな本を読んできた(文春文庫)/立花隆文藝春秋

"知の巨人"立花隆の知の舞台裏を垣間見る読書論、書斎論…などなどのエッセイ集。妹尾河童の図解付きネコビル(立花隆の仕事場)探訪記も収録されている。これを読むと、立花隆は偉大なアマチュア(誤解されそうな形容だが…)*1、ゼネラリストなんだなと思う。学問の専門分化以前の偉大なるアマチュア学者、百科全書派みたいな人。だから、この人の書くものには子どものようなハツラツとした好奇心が感じられるのだろう…そう再認識させられる。

モーツァルトの肖像をめぐる15章/高階秀爾小学館

14点のモーツァルトの(真正)肖像画をめぐる連想から、肖像画というジャンルを縦横無尽に論じる西欧美術史の本。タイトルのモーツァルト…に強く反応した人にはガッカリかもしれないが(モーツァルト論ではないし、モーツァルト肖像画そのものもメインとはいえない)、これはかなり面白い美術史の本だ。いろいろなタイプの肖像画肖像画のテクニック、手法、肖像画の歴史…面白くためになるというのは、こういう魅力的な本のことを言うのだろうな〜。

アメリカジャーナリズム報告(文春文庫)/立花隆文藝春秋

代表作『田中角栄研究』(1974年連載)を世に送り出してまもない著者が、ウォーターゲート事件(1972年〜1974年)に揺れるアメリカを旅して、米国流ジャーナリズムに触れる。そのリポート(原著1978年刊行)。


B・ウッドワード*2、D・ハルバースタム*3、B・ブラッドリー*4…と対談のメンツが凄いし、対談の中身も凄い。それに比べ、分析の部分はいまから見るとやや古くなってしまっているという感じ。日米ジャーナリズム比較で、米国流に軍配を上げている*5とはいえ、一辺倒でないバランス感覚はさすがだが…。

翻訳の日本語(中公文庫)/川村二郎、池内紀中央公論新社

翻訳の日本語 (中公文庫)

翻訳の日本語 (中公文庫)

前半(第1〜8章)「翻訳の日本語」が川村二郎、後半(第9〜11章)が池内紀。明治以降の翻訳(主に欧米文学)が日本の近代文学にあたえた影響を論じる内容。基本的に文芸翻訳中心志向で肩透かし。ことに前半の川村は上田敏二葉亭四迷森鴎外…と大先達の名訳を鑑賞しつつ、詩か真実か…という翻訳のジレンマというお約束さで平凡。後半の池内は、明治の技術書、啓蒙書の翻訳の影響の重要性を指摘するあたり慧眼だけど。

*1:ライター、ジャーナリストとしては"プロ"であるが、よく執筆している物理学、医学、宇宙工学などにおいては専門家ではない…という意味。

*2:ウォーターゲート事件報道で有名なワシントン・ポスト記者。

*3:『ベスト&ブライテスト』の著者。ニュージャーナリズムの旗手のひとり。

*4:ワシントン・ポスト編集主幹。

*5:当時の著者からすると、日本ジャーナリズム批判は批判ではない切実さがあったわけだが…。