読書メモ(2009年6月その2)

ちいさなカフカ池内紀みすず書房

ちいさなカフカ

ちいさなカフカ

池内紀カフカ論その一。カフカと作品にまつわるエピソードを連ねていき、その全体像を浮き彫りにする。きわめてこの人らしい手法。百の論よりもひとつの逸話が雄弁であることは言うまでもない(カフカは散歩好きだった…という逸話は、彼の作品に頻出する路地に具体的なイメージを与えるものだ)。


この人の書くカフカカフカ論特有のもったいぶった深刻さがない。お洒落。面白い。(いい意味で)軽い。この軽さが受けつけない人もいるのだろうが、池内訳のカフカ(岩波の短編集)でイカれてしまった世代としては、この人の語るカフカはすんなりと身体にしみこんでくるという気がする。

フロイトのイタリア―旅・芸術・精神分析岡田温司平凡社

フロイトのイタリア―旅・芸術・精神分析

フロイトのイタリア―旅・芸術・精神分析

美術史家によるフロイト論。フロイトとイタリア、精神分析と芸術…解剖台の上のミシンとコウモリ傘(by ロートレアモン)のようなアリエナ〜イ取り合わせのように思えるが、単なる思いつきでも牽強付会でもない。本書は近代精神分析学の父フロイトのもうひとつの側面…イタリアに憧れる旅行者、美術愛好家、考古学愛好家…を綿密な資料研究に基づき明らかにしていくものである。


フロイトは、知る人ぞ知る大のイタリア通であった。その生涯で二十数回もイタリアの土を踏んでいる」(本書9頁)。一章、二章はフロイトの書簡を引用、彼のイタリア旅行を描写する。三章はフロイトの著作の中の描写から、彼のイタリアへの強い執着を分析。フロイトは熱心な古物コレクターであった。また彼は、しばしば無意識を考古学的なメタファーで語り、古代の記憶が地中に眠るローマやポンペイの町になぞらえた」(本書169頁)。四章は美術・考古コレクターとしてのフロイト。そして五章ではフロイトが残した数少ない芸術論であるレオナルド論、ミケランジェロ論が俎上にのせられる。そして最後の六章では視点を変えて、イタリアはフロイト(の学問)をどう見ていたのか、ファシズム政権前夜の世相を絡めつつ、イタリアでの精神分析の受容をまとめる。


…と、こんな内容(フハー)。フロイトとイタリア?…というカップリングの妙に心をひかれて、あと著者の別の本を読んでいたということもあり、読んでみたら見事に正解だった。精神分析学もフロイト学も疎くて、本書がフロイト研究においていかなるポジションをしめるのか分かりませんが、少なくとも美術史、文化史というカテゴリーでくくるなら、これは素晴らしい力作、労作。

翻訳家の書斎/宮脇孝雄研究社出版

翻訳家の書斎―「想像力」が働く仕事場

翻訳家の書斎―「想像力」が働く仕事場

翻訳論、翻訳コラム集。さすがに重複が多くなるか…。七つ道具から、誤訳、日本語感覚の磨き方、昔の翻訳について…と翻訳業についてアレコレ。

ペーパーバック探訪(アルク新書)/宮脇孝雄アルク

ペーパーバック探訪―英米文化のエッセンス (アルク新書 (2))

ペーパーバック探訪―英米文化のエッセンス (アルク新書 (2))

洋書ペーパーバックの紹介本。翻訳学校の雑誌に連載されていただけに、英語原文も引用されており、英語翻訳のお勉強にもなる(笑)。トンデモ本とかお料理本とかも混じっているけど、紹介されている本はそう珍しくもないか。

コーヒーテーブル・ブックス/堀部篤史/mille books

コーヒーテーブル・ブックス ビジュアル・ブックの楽しみ方23通り

コーヒーテーブル・ブックス ビジュアル・ブックの楽しみ方23通り

ビジュアル本のブックガイド。紹介されている本が、あまりにコアでマニアックなものばかりなので、ただ、ヘェェェェ〜という感じ。特に感想は無い。アメリカのダイナー(大衆食堂)の写真集を紹介したところが面白かった…。

フラゴナールの婚約者/ロジェ・グルニエみすず書房

フラゴナールの婚約者

フラゴナールの婚約者

チェーホフの感じ』のフランス人作家の短篇小説集(日本オリジナル編集)。表題作を別のアンソロジーで読み、惹かれていたのでその興味から。通しで読んでみると、ほろ苦いビターな味、人生の蹉跌の苦さ…みたいな感じが行間からただよってくるんだよな〜、そういった意味で、表題作から想定していた内容とそうズレはない。予想外だったのは"笑い"の要素かな? その苦さが、暗さ、深刻さにならずに、苦みばしったユーモア、笑い、滑稽に転化する…。


彼の著作(未読)に『黒いピエロ』というタイトルがあった思うけど、彼の文学世界を言いあらわしているタイトルだと思う。苦みばしったピエロ、憂鬱なピエロ、哀しげなピエロ…アントワーヌ・ヴァトーの絵を思い出す。



第六の戒律/プラリーヌ/春から夏へ/乗換え/視学局/運勢/ベルト/フェート広場の家/あるロマンス/美容整形/風見鶏/沈黙/反復/隣室の男/ウィーン/アルルカンの誘拐/歓迎/ノルマンデイー/三たびの夏/フラゴナールの婚約者

蜘蛛の巣(ハヤカワ・ミステリ文庫)/アガサ・クリスティー早川書房


"ああ、わたしたちは何ともつれた
蜘蛛の巣を編んでしまったことか、
最初に人を欺こうとした時に" (本書259頁*1
アガサ・クリスティー、ノンシリーズのオリジナルミステリードラマ(三幕)。タイトルからおどろおどろしい印象(苦笑)を受けるが、よ〜はもつれてからみあう蜘蛛の糸…ドタバタ劇(殺人があるとはいえ)である。田舎の家、地方の名士、おなじみの道具立てで良質のシチュエーションコメディーを織り上げる。本格ミステリー戯曲(…そんなものあるのかね?)として読むと物足りないかもしれないが、想像で舞台を思い描きながら読むとおもしろい…。

フロイトと作られた記憶/フィル・モロン/岩波書店

フロイトと作られた記憶 (ポストモダン・ブックス)

フロイトと作られた記憶 (ポストモダン・ブックス)

知らないオジサンにヘンなことされた、パパ(ママ)に虐待された…心理療法やカウンセリングによって"ニセの記憶"が作り出される、あるいは刷り込まれていく「作られた記憶症候群」。その元凶とも言われるフロイト心理学を検証した本。刺激的なタイトルとは裏腹に結論はかなりフロイトびいき。フロイトにも責任はあるが、それ以上にフロイトを誤解、誤読してきた後の世代が悪い…ということになる。ただあまりにも中身が薄いので、これだけじゃあな〜。ロクに中身の解説もしないで、感情的なフロイト批判を垂れ流すだけの解説も×。

永遠の書架にたちて/辻邦生/新潮社

永遠の書架にたちて

永遠の書架にたちて

『安土往還記』、『背教者ユリアヌス』などで知られる作家・辻邦生の70、80年代のエッセイをまとめたエッセイ集。タイトルから想像つくように、文学論、読書論メインのブッキッシュな内容。この人は戦前の流れを組む文士、文豪作家とも、戦後の左派知識人作家とも違う、一種孤高の存在だった…。


ヘンな言い方だが"小説家のエッセイ"ということを強く感じる。創作とは何か、小説を書くこととは何か…という問題意識を常に感じる。たとえ自作の話でなくても、"どう書くのか"ということに常に帰着する。小説家だから、それが当たり前だろ…ということかもしれないが、(戦後の)日本の作家はこういう大マジメな文学論・創作論をあまり書かなくなったような気がするのでな〜。

*1:ウォルター・スコット「マーミアン」からの引用。