読書メモ(2009年6月その3)

天草の雅歌/辻邦生/新潮社

天草の雅歌 (1971年)

天草の雅歌 (1971年)


わが愛する者の声きこゆ、視よ、山をとび、岡を踊りこえて来る。 ―雅歌―
(本書7頁「題辞」)


江戸時代前期、鎖国前夜の長崎。
国際貿易港を揺るがす朱印船商人と糸割符商人の対立、国際貿易派と統制貿易派のせめぎ合い、オランダ人、ポルトガル人の策謀。その渦中に巻き込まれ、出会い、引き裂かれていく男女ふたりの魂。日本人通辞と混血の美少女の愛は、歴史の大きな流れに逆らえるのか…?


タイトルでてっきり島原の乱天草四郎)を題材にした歴史小説か、(日本人お得意の)切支丹モノのラブロマンスか、と思い込んでいたのだが、実は長崎を舞台にした国際謀略"経済"小説だった…というオチ。最近の作品で言うと、真山仁『ハゲタカ』とか服部真澄『龍の契り』とか広瀬隆『赤い盾』とかそんなノリです。まさか、辻さんがこういう小説書くとはね〜、思いもよらず。


糸割符制度というカラクリを利用して利益をむさぼる輩や、異国交流に後ろ向きの老中、鵜の目鷹の目で日本交易の利権を争う外国商人…と謀略、謀略、謀略なんですが、誰が悪いという黒幕がいるわけでもなく、歴史の大きな流れに押しつぶされていく、閉塞していく…という空気感は見事。


それだけに、主人公ペア(上田与志、伊丹コルネリア)の無力さが際立ってしまうのが×。特に主人公が内向的な性格でほんと動かないんだよね。

ローマの宿/井上靖/新潮社

ローマの宿 (1970年)

ローマの宿 (1970年)

  • ローマの宿
  • フライイング
  • ローヌ川
  • テペのある街にて
  • アム・ダリヤの水溜り


外国紀行随筆集、全五篇。冒頭の「ローマの宿」はローマオリンピック(1960年)で滞在したローマの下宿の老婆と日本人青年の思い出を綴る。これを含む前半三篇がヨーロッパ。後半二篇が中央アジア。エッセイでありながら小説のような味わいもある…物語作家らしい紀行文。愛すべき貪欲な老婆の姿を生き生きと描き出す「ローマの宿」もいいが、陸上選手のフライングに妻殺しの嫌疑をかけられた友人の心情をダブらせる「フライイング」がすばらしい。

あの空をおぼえてるジャネット・リー・ケアリー/ポプラ社

あの空をおぼえてる

あの空をおぼえてる


交通事故で瀕死の重傷を負った兄妹。兄は生還し、妹は逝った。妹の死をひきずり続ける両親。その悲しみを和らげようとつとめる兄は、生還後の日々を、いまは亡い天国の妹へ書き送くる…というアメリカの児童文学。日本で映画化(舞台を日本に変更するなどの翻案)されたことは記憶に新しい。


少年ウィル(主人公)が亡き妹ウェニーへ手紙を書く(という体裁の手記)というスタイルはアンネ・フランクの日記を意識したものかね? 子どもの死生観、臨死体験…という部分もあつかわれるのだが、メインは残された遺族の悲しみ、悲しみからの立ち直りというプロセスそのものだったりする。本書を読んでまず連想したのはスティーヴン・キングスタンド・バイ・ミー」だろうか。主人公ゴーディの優等生の兄は若死し、家族は深い悲しみから立ち直れないまま。ゴーディ自身も兄の死を悲しむが、一方で息苦しさも感じる。本書の主人公ウィルもまたゴーディのような息苦しさを感じることになる…。


ウィルの場合、現場に居合わせ、さらにアニキとしての負い目があるだけに余計苦しいんだよね。健気で明るい語り口からは、一見、そういう"苦しさ"が見えてこないのだが、節々で暗示されるようになり、最後で明らかになる。"「パパはこういった……『なぜ××××だったんだ?』って」"(本書240頁)*1。実際に父親が言ったかどうかは分からない(実際に言わなくても、思ってしまったことをズバリ言い当てられてしまった…ということもありうる)。ボクが生きているのが悪いことなの? そういうウィルの悲痛な叫びだったのかもしれない。


そういう意味で、嫌なぐらいに両親(特に父親)の弱さ、幼さが目につく。子ども=強い、大人=弱い…という逆転の図式は児童文学では珍しくないものの、自分たちで解決できずに専門家に頼りきるという情けないぐらいの"弱さ"を、そのまま肯定してしまうのもいかがなものかと思うんだが。けっきょく、子どもに、親のセラピー役を無理やり押しつけている…そんな感じがするんだよな。

日記をつづるということ―国民教育装置とその逸脱/西川祐子/吉川弘文館

日記をつづるということ―国民教育装置とその逸脱 (ニューヒストリー近代日本)

日記をつづるということ―国民教育装置とその逸脱 (ニューヒストリー近代日本)


I. 人はなぜ日記をつづるのか
II. 日記とは何か
III. 近代移行期の日記
IV. 日記帳という商品
V. 家計簿と主婦日記の創出
VI. 内面の日記の創出
VII. 戦争日記の世界
VIII. 日記による戦後再編成
IX. 未知の編成を生きる―教育装置か、その逸脱か―
日記帳というモノが広く普及し、その中に個人の記録が記される。そんな近代〜現代(電脳日記普及以前)を近代日記の時代と位置付け、その黎明から黄昏までの「日記」のあり方を、近現代日本史の流れとともにたどる日記論。


日記論、日記研究…というジャンルはある。が、その多くは文学としての「日記」研究か、歴史史料としての「日記」研究のいずれか。肝心の「日記をつづる」という行為に目を向けた本格的研究はほとんど無かったに等しい(本書でも言及されている紀田順一郎『日記の虚実』、テディエ『日記論』などの例外もあるが)。本書はその空隙を埋める労作…になると思ったんだけどねぇ…。


サブタイトルからも、かなりバイアス(左翼史観、フェミニズム史観)のかかった内容だと覚悟していたものの、やはり相当なものだった。まあ、近代日本史の本であることから、こういう左右のイデオロギー臭は回避不可能なのかもしれないが、誰も知らないような老女性アナキストの日記を熱く語られても、そういうことに興味ない読者としては醒めてしまうわけで…もっとプレーンな視点が持てなかったものか。あと明らかに力を入れている箇所とそうでない箇所の落差が大きすぎるんだよね。全体を見渡す通史としてはもうちょいバランスとって欲しかったけど。力作、労作、大作…だが、いま一歩惜しかった。


モノとしての日記帳に着目した四章とかは面白かったのにな〜。

カフカプラハ/クラウス・ヴァーゲンバッハ/水声社

カフカのプラハ

カフカのプラハ

聖地巡礼本ですね(苦笑)。カフカ文学愛好家のための。とはいえ、力作評伝『若き日のカフカ』で知られる碩学の著者だけあって、カフカブームに便乗した安っぽいミーハーなプラハ観光本などでは決してなく、テキスト、写真、地図が見事に組み合わされたすばらしい本。難点はちょい詳しすぎること(笑)。カフカの書いた「事故防止マニュアル」にはまいった(苦笑)。あと造本がすごくオシャレで、小脇にかかえてプラハ街歩きしたくなるよ〜な感じだ。

カフカのかなたへ/池内紀青土社

カフカのかなたへ

カフカのかなたへ

池内紀カフカ論その三。「はじめに」(カフカの人物像)と「生命の樹」(カフカの死)でカフカ本人について触れるほかは、カフカの作品がメインの主題となる。『審判』、『アメリカ(失踪者)』、『城』、『変身』…と主要作品を網羅。さすがに三冊も続けて読むと重複箇所や文章に気がつくものの、それでも読ませてしまうというのが凄い。あとカフカ作品の挿絵など図版の多さもポイント。特にカフカの短篇をコマ漫画にしたてたものが面白い(本書66〜69頁)。

夢のありか―「未来の後」のロシア文学沼野恭子/作品社

夢のありか―「未来の後」のロシア文学

夢のありか―「未来の後」のロシア文学

沼野充義さんの奥さんか。この人もロシア・東欧文学の研究者、翻訳者である。世紀末〜20世紀前半のロシア文学(ロシアアバンギャルド)、現代ロシア文学ペレストロイカ以降)、各種書評…以上の三パートに分かれている。メインの文学話はちょい専門的すぎてよ〜分からん。アクーニン、ソローキン、ペレーヴィン…など現代ロシアのイキのいい作家たちを語るところは面白かったな…。特にペレーヴィンの作品はもっと読みたいし、情報も欲しいところ…。

ロンドンで本を読む/丸谷才一(編著)/マガジンハウス

ロンドンで本を読む

ロンドンで本を読む

英国の書評アンソロジー…ですね。計42篇収録。前書き(丸谷才一「イギリス書評の藝と風格について」)が手際よくまとめているように、

  • 書評家のステイタスの高さ
  • 充実した内容とボリューム
  • タイトルがある(れっきとした評論として扱われる)

のが英国書評の特徴と言えましょうか。


まず書評家のメンツが凄いなあ。セレクションの傾向もあるんだろうが、デイヴィッド・ロッジキングズレー・エイミスイーヴリン・ウォーアントニー・バージェス、ルース・レンデル、サルマン・ラシュディ、V・S・プリチェット…と作家、小説家がズラリ。とくにあのサルマン・ラシュディが、これほど鋭い書評を書く人だとは思わなかった。彼の『日の名残り』(カズオ・イシグロ)書評は、作品の本質を簡潔にとらえた見事な評論であり、素晴らしい。


編者の好みからか、文芸評(しかもハイブロウな)が多くて、ややお上品すぎるのが不満といえば不満なのだが、そういう意味では編者推奨の"誉めた"書評よりも貶した、やや斜め視線の評の方がおもしろく感じてしまうのは好みの相違からかな〜。そういうものはタイトルも面白かったりする。「フレッド・アンド・グラディス・ショー」(『ダイアナ妃の真実』)、「還元する人、縮める人」(『地中海』)、「エーコ博士の流血館」(『薔薇の名前』)。


各書評につけた編者のコメントは、書評子のデータとかも述べているのでありがたい…と言いたいところなんだけど、編者の好悪が出すぎて、好みの人とそうでない人との記述に温度差がありすぎなのが、タマにキズかなぁ〜。

アンドルー・マーヴェル詩集/星野徹(編訳)/思潮社

アンドルー・マーヴェル詩集

アンドルー・マーヴェル詩集


クローラ、わたしの魂をとくと眺めて、
設計が上手にできているかどうかを教えてくれ。
今では、並んで続く幾つもの部屋が
一つの画廊を構成しているし、
さまざまな顔を刺繍した立派な
アラス織の壁掛が拡げられている。
家具の代りにあなたが見出すものと言えば、
わたしの心に刻まれたあなたの絵姿だけだ。
(本書20頁「画廊」)


17世紀英国の形而上詩人アンドルー・マーヴェルの詩選集(24篇収録)。奇想に満ちた恋愛詩を残しつつも、一方でクロムウェルをヨイショする詩を書きながら、王政復古期には逆に王党派に擦り寄るというオポテュニスト(日和見主義者)でもあった人。有名なのは奇想恋愛詩「羞しがる彼の恋人へ」だろうが、恋焦がれる自分のこころを画廊にたとえる上記の詩もいい。マニエリスムと呼ぶべきか、バロックと呼ぶべきか、どうあれ「奇想の詩人」にふさわしい…。



恐るべき木製リヴァイアサンの群だが、
三層の青銅の大砲で武装していて、
船腹の轟く砲門は核心を撃ち抜き、
停泊している地球をも沈める。
(本書174頁「護国卿閣下指導政府一周年記念、一六五五年」)
これはクロムウェル政府をヨイショした純然たる政治的な作品だが、こういう作品にも奇想が紛れ込んでいるのが面白いと思う。

カフカの書き方/池内紀/新潮社

カフカの書き方

カフカの書き方

池内紀カフカ論そのニ。手稿版カフカ全集翻訳(『カフカ小説全集』白水社)の裏話、もしくは副産物のようなエッセイ。手稿版全集のテクスト研究の成果を噛み砕いて伝えながら、カフカの執筆過程をあぶりだすという一般読者向けの本である。よ〜は、カフカはいかにして書いたか…という本である。ぶっつけ本番で書くというカフカ独特のスタイルがよく分かる。そんな乱雑な原稿を解読するハメになったマックス・ブロートら後世の研究者たちの苦労も。

科学と英文学/渡辺正雄(編著)/研究社出版

詰まらない。タイトルに期待し過ぎた。単に英文学の中にあらわれる科学のイメージを英文学サイドから論じただけの論文集。科学の方からも、何人かゲストを呼ぶべきだったと思う。日本の理系は文学に疎い?…そりゃ偏見だろうが、それが事実としても連れてくるべきだったな。少しはマシになった。

*1:ネタバレになるので原文にない伏字を施した。